やまびこ荘は、源直清公から八代目の中川久治右衛門清勝が、文化10年に建築したものである。
その後、杣野村の郷筒御所や、松山藩の体制山手代所となり、明治5年から明治23年までは杣野村の一部の戸長役場となった。
また、明治33年から所有地内の風穴が県農会により開発されて、蚕種貯蔵の管理事務所ともなった。
この建物は四国山間部の典型的な民家で立場にあったので、全体に規模を大きく作られている。
何よりも興味深いのは、落武者の家らしく「入らずの間」があったり、「武者隠し」や「からくり戸」があることだろう。