直清公は、このような山里で学問や礼儀作法がおろそかになる事を心配して子弟の教育を厳しくした。
その遺志が代々受け継がれて文化年中、大成学舎という家塾をひらいた。
大成学舎ではカリキュラムを組んで、読み書きそろばんのほか、剣術や礼法まで教えたと
いうからおどろきである。
この大成学舎は明治に至り、簡易小学校となり、長岡会長や祖父や父君が校長を勤めた。
聖天子の像は、故長岡悟会長が、昭和天皇を偲び、まだ天皇が皇太子であった頃、英国で撮影された写真をもとに、作ったものです。
平和を望まれた昭和天皇のご遺志に照らして、この姿を選びました。
この像は石胎銅像といって、普通の銅像よりも耐久性に優れているといわれ、石像の上から、何回も銅を塗り重ねたものです。